「日証館」・・・ 近代日本経済・90年の時代の証言者 大正ロマン・ロココな雰囲気のある賃貸事務所 |
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伝統と歴史を継承する日本橋兜町の「日証館」 |
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近代日本経済の父『渋沢栄一邸・事務所跡地』 渋沢栄一翁は、幕末から明治維新・大正・昭和と、日本近代経済の歩みの中で、第一国立銀行・東京株式取引所・富岡製糸場をはじめ鉄道・日本郵船・清水建設などの海運・建設業・他にも、東京海上火災保険、東京ガス、東洋 紡績、王子製紙、秩父セメント、キリンビール、アサヒビールなど企業の創設 ・育成に力を入れ、「道徳経済合一説(著書:『論語と算盤』)」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わりました。その多くが名を変え、合併などはしつつも、今も、日本経済を支え続けております。 この地は、1888年(明治21年)に渋沢邸宅として、後年は渋沢事務所として使われた由緒ある場所です。また、渋沢栄一の邸宅を設計したのは、日本銀行・東京駅の設計で知られる辰野金吾です。渋沢栄一は、郷里の埼玉県深谷市に、日本煉瓦製造会社を作り、そこで作られたレンガが東京駅や日本銀行・赤坂離宮・警視庁などにも使われました。 関東大震災で1923年に、渋沢邸・事務所はなくなってしないましたが、昭和3年(1928年)、東京株式取引所によって渋沢栄一邸の跡地にこの日証館が建設されました。当初は東株ビルディングと呼ばれましたが、昭和18年(1943年)の日本証券取引所設立後に「日証館」と呼ばれるようになりました。戦後の昭和21年(1946年)に、取引所の市場館・本館が米軍に接収されたため、取引所市場は閉鎖され、その後東京証券取引所が設立される昭和24年(1949年)5月までの間、この日証館1階の事務所で取引所取引に代わる集団取引が行われたそうです。以後、日本の復興・高度成長を背景に、日証館には35社の証券会社が入居する事務所ビルとして活況を得て使用されました。証券会社の看板がたくさん出ている日証館のモノクロ写真がありました。 日証館が出来て、今年で87年になります。(本稿2015年掲載時) 87年という重みと、日本近代経済の証人であるかのごとき建物の趣きは、時を大切にする方に、時代の一員としての存在感を体感できる場所であるかもしれません。 ※渋沢栄一翁の生涯・哲学などについては、「渋沢栄一記念財団」・埼玉県深谷市の「渋沢栄一ミュージアム」・日証館はじめ兜町の歴史については、東京証券取引所・日証館のオーナーである平和不動産様のサイトに詳しく記載されています。是非、ご覧くださいませ。 |